古くから高知の林業は栄えてきました。県内の多くの木材が朝廷奉納や幕府献上として活用されていた記録が古い文書に残されています。 特に銘木、魚梁瀬杉で知られるように森林資源に恵まれた馬路村では、木材搬出のため、明治44年に、国内3番目の森林鉄道として、馬路から田野間を結ぶ森林鉄道が開通しました。その後、馬路から魚梁瀬まで延長され、大正6年には本線終点の石仙まで軌道が延びました。やがて奈半利川沿いにも軌道が敷かれるようになり、総延長250㎞といわれる県内最大級の森林鉄道となりました。 しかし、昭和32年、魚梁瀬ダム建設に伴い森林鉄道の廃止が決定しました。33年から軌道の撤去がはじまり、38年に安田川線の撤去が完了し、惜しまれながら廃線されましたが、現在でも、当時の面影を残す隧道や橋梁跡などが点在し、人々の生活の中に残っています。 その繁栄を遂げた魚梁瀬森林鉄道の遺産として、平成21年に橋梁や隧道など18箇所(馬路村内では4箇所)が国の重要文化財の指定をうけました。同年には経済産業省の近代化産業遺産群にも9基(馬路村内では2基)が認定されました。広域(馬路村を含めた中芸5ヵ町村)で国の重要文化財の指定をうけるのは、我が国初のことです。 現在、貴重な観光資源としても活用され、林鉄は馬路村に多くの観光客を集めています。 日本遺産認定に向けた取り組みが始まっており、森林鉄道の遺構が残る中芸5ヵ町村で連続講演会が予定されています。 |
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