◇ 車両基地の概要
1970年(昭和45年)1月、西武秩父線開業を受け電気機関車・貨車専用基地として埼玉県横瀬町に開設。その後所沢検車区の支区となったが、1989年(平成元年)9月に所沢車両管理所の廃止により、業務を統合して横瀬車両管理所となった。
開設当初は武甲山から採掘される石灰石を原料とするセメント輸送が盛んであったが、トラック輸送への転換でセメント輸送は1996年(平成8年)3月末に廃止となり、バラスト輸送のためのE31形電気機関車と貨車を残すのみとなった。2008年(平成20年)7月に機関車によるバラスト輸送が廃止となり、機関車は甲種車両輸送で活躍するだけとなった。2010年(平成22年)3月にE31形電気機関車も廃車となり、甲種車両輸送は全車電動車に改造した101系4両編成が代わりに行うこととなり、西武鉄道における電気機関車の歴史も幕を閉じた。E31形電気機関車はその後3両が大井川鉄道へ譲渡となり、第二の活躍の場を得ることができた。 |
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◇ 保存車両
横瀬車両基地には電気機関車6両(E43・E52・E61・E71・E31・E854)、特急レッドアローを含む電車3両(クモハ355・クハ5503・クハ1224)および5000系前頭部(クハ5504)が静態保存されている。また、旧保谷車両基地には蒸気機関車(5号)と電気機関車(E11)が静態保存されており、2012年には100年アニバーサリーイベントとして修復されて公開された。以下、横瀬車両基地に保存されている車両を紹介する。 |
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<5000系 クハ5503>
1969年(昭和44年)10月の西武秩父線開業に合わせ新造された特急車両。4両編成で新製され最終的には全編成6両編成となった。最後に廃車された5503編成の両先頭車2両が静態保存となった。 |
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<クモハ351形 クモハ355>
1954年(昭和29年)から1956年(昭和31年)にかけて新製された17m級の小型車体車両。1990年(平成2年)6月廃車となった。 |
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<101系 クハ1224>
1969年(昭和44年)の西武秩父線開業に合わせて山岳路線を走行するための高出力・高ブレーキ性能の車両として登場。登場時は「ASカー(All round Service Car)」とも称された。1976 年(昭和51年)までに4両編成50本(200両)と6両編成13本(78両)の計278両が新製された。 |
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<E31形 E31>
1986年(昭和61年)から翌1987年(昭和62年)にかけて西武鉄道所沢車両工場にて4両が製造された小型直流用電気機関車。外観は西武鉄道の在来大型機関車であるE851型のデザインラインを継承している。 |
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<E61形 E61>
1923年(大正12年)鉄道省がアメリカのゼネラル・エレクトリック社より輸入した。車体は箱型で、その前後にデッキを有しており屋根上には2基のパンタグラフを設けており、同時期に輸入されたイギリス製に比べ無骨さは影を潜めている。 |
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<E851形 E854>
1969年(昭和44年)の西武秩父線開通に際して、秩父方面から正丸峠を越えてセメント輸送列車が運行されることとなり、民鉄最大級の機関車として三菱重工業(車体)及び三菱電機(電気機器)において4両が製造された。 |
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<E71形 E71>
1925年(大正14年)アメリカのウェスチング、ハウス・エレクトリック社(車体・電気品)及びボールドウィン社(機械類)で製造された。現在は国鉄時代の塗装に復元、ナンバーもED10に戻されている。 |
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<E51形 E52>
1923年(大正12年)スイスのブラウンボベリィ社及びロコモティブ・アンド・マシンワークスで共同製造された。車体はスイスの機関車らしく全体的に角の取れたデザインとなっていて、パンタグラフ集電舟が1本しかないのが特徴である。 |
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<E41形 E43>
1926年(大正15年)から1929年(昭和4年)にかけてイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社にて製造された。前後にデッキを備えた箱型車体で、正面窓に対して乗務員室窓が向って左側にオフセットされた配置が独特である。デッキは台車が車体前後へ張り出したその上に設置されている。 |
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